海辺の公園

赤い公園のファンブログです。

2回目の10月18日に寄せて

こんなツイートを見かけた。


しゃがんでる、とは自分は思わないけれど、「次のジャイアントステップが絶対にあった筈だ。」というのには同意する。次の一歩はきっと大きかったと思っている。

小出祐介氏の言う「逆サイド」からやってきた赤い公園は、『熱唱サマー』まで、だんだんこっちサイドに向かって歩いてきていて。そこでバンドの再編――ほとんど破壊と再生に近いできごとを経て、それを乗り越えて、『消えない - EP』という一歩を、またちょっと変わったところに置いた。その次の『THE PARK』は、いろんな方向に同時に踏み出した一歩みたいなアルバムだったと思う。人間はひとつの方向にしか歩けないけど、音楽はそうじゃない。

だからその次には、だれにも予想のつかない、それでいてそれまでの赤い公園の音楽ともつながりを感じられるような一歩を刻んでいたに違いない、と思う。『THE PARK』で言えば、「恋と嘘」の可愛くてポップなサウンドから切なくて骨太な「夜の公園」につながったように。「14」の魂が「Yo-Ho」に触れて「Mutant」に受け継がれたように。かと思えば、どこから出て来たのかわからない、でもまぎれもなくめちゃくちゃ赤い公園的な「絶対零度」が飛び出してきたように。言っても詮無きことだけれど、時が経つほどに、聴けば聴くほどに、その先がどこに続いていたのか、次の一歩がどんな一歩だったのか、気になってしまう。

二年経った。その時はただチラ見したニュースに過ぎなかった。それから一年で「音源になっているものはほとんど全部聴いた」。その後の一年は、最初の一年ほどは聴いていないけれど、それでも赤い公園よりたくさん聴いた音楽はなかったし、いまのところそれに少しでも近づく気配がある音楽もない。今度こそ自分は新しい音楽にはまることはないのかもしれない。かりにそうだとしても、この歳になってこれだけはまったバンドがあったのだから、それはけっこう幸せなことなのだろうと思う。だめだよ、そんなこと言ってないでもっと新しい音楽どんどん聞きなよ、って、言われそうだけど。

先月末から今月頭にかけて、赤い公園のメンバーが歌った、あるいは弾いた、赤い公園の曲が相次いでこの世界に流れた。そろそろみんなそんな気分になっているのかもしれない。それを聴けたのは率直にうれしかった。
去る者は日日に疎し、かもしれないけど、奏でる人がいる限り、聞く人がいる限り、音楽はなくならない。津野さん、たくさんの素晴らしい音楽をありがとう。まだきっと聴きます。

また一年ぐらいしたら、書くと思う。それじゃあ、また。